エッセイ

てきとうに暮らす日記 20

20

 前回を書いてから二週間以上経っていて、そんなに経ったのかと時間の感覚がうまくつかめないのは、その前からだけど、日記を書けないわたしが日記的な形式のなにかとはいえ継続しないのは、うーん、どうしたもんかなー、ということがいくつかあったからだ。
 ものすごく忙しいとか、とても困ることが起きたとか、そういうのでもすぐ書けなくなるのやけども、うーん、どうしたもんかなー、という切羽詰まってはなくてもさっと片付きもしない簡単に結論できない懸案事項がいくつかかさなると、書くことも、日常生活の細々したことも、わりにすぐに停止してしまう。だいぶ前に、奈良美智さんが制作に集中してると家事とか銀行行くとかができなくなる的なことを書いてたのだけど、すごくわかる。國分功一郎さんは、一つのことに集中してる忙しさと違って複数の種類の違うこと(という言葉ではなかったけど、思い出せない)を同時に進める忙しさは脳が焼き切れる感じがする、とツイートしてて、それも強く心に残っている(うろ覚えばっかりですみません。奈良美智さんの「銀行」と、國分功一郎さんの「脳が焼き切れる」という部分は確かだと思う)。
 どうしたもんかなー、というのと同時に、仕事も、3月後半から4月上旬にかけて一旦停止みたいになっていたのが、動き出したり、またこの状況下に対応して新しくやってみることがあったりと、それなりに増えてきて(仕事とどうしたもんかなーが重なっている部分ももちろんある)、気づいたら日が経っていたという感じ。
 連休を挟んだせいか、二週間前とは、自分自身も、外も、気分が違っている感じがする。連休のあいだはまだじっと息をひそめているという空気があったけれど、連休が終わってから、再開したりテイクアウトを始めたりする飲食店も増えて、営業時間は短縮しながらも再開する書店のお知らせも次々あったりして、4月初めのころのなんともいえない重苦しさとはまた違った段階になっている。それには、日が長くなり、天候がよくなったことも大きいと思う。何日目かに、人間の内面は天気や外の環境に左右されると書いたけど、今のこの感じは、初夏のいちばんいい季節の、明るい日差しや青い空と陽気がもたらしている部分は大きい。
 ただ、このちょっと暗いところを抜けたような感じが、あとから振り返ってみてどういうふうにとらえられるのかはわからない。まだ緊急事態宣言は出たままだし、なにかが解決したわけでもない。そしてわたしはほぼずっと家にいて、近所の商店街くらいしかいかないし、ごく身近な人としか話してないから、ほかの人や、たとえば東京以外の場所がどんな感じなんやろうということはつかめない。ツイッターを見ていると、テレビでこんなことを言ってた、映してた、と流れてくるけれど、それは自分の実感とは遠い。
 そんな中でも続けてることといえば、フルーチェを作ることで、作るといったって牛乳入れて混ぜるだけなんやけども、固まるのがおもしろいし、おいしい。固まるのは、ペクチンと牛乳のカルシウムが固まるからで、ペクチンはりんごとかのジャムでとろっとなる成分で、というのはわかってたけど、今検索してみると、ペクチンは細胞壁の中にある多糖類らしい。そうなんや。フルーチェの公式サイトでは、やなせたかしデザインのオリジナルキャラが解説してくれます。
 写真は「夏のフルーチェ <和柑橘ミックス>」で、期間限定なんやけども、めっちゃおいしかった。今回順番に食べてるフルーチェの中でいちばん好みです。ずっと売ってほしい。と、思っていたら、ホットケーキミックスや小麦粉やベーキングパウダーだけでなく、フルーチェやプリンエルも品薄になってきて、この和柑橘ミックスに二度と出会えてない。子どもが家にいたら、こういうのいるよね。コンビニのおやつとか毎日買ってたらお金かかるし。
 4月とは違う感覚やけども、この先の見通しがたたない、来月が、数か月先がどうなってるのかわからない、というのは変わらへんな。

(5月8日ぐらいのこと)

てきとうに暮らす日記 19

19

 『きょうのできごと』を書いたのは、1999年のことだった。正確に言うと、5つの短編から成る『きょうのできごと』の1話目「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」を書いたのが1999年の確か4月で、それが初めて世に出たわたしの小説だった。原稿用紙でたった15枚の短編で(パナソニックのワープロで書いていた)、そのときはその1話だけだったのが、続きを書くことになり、その年の終わりまでに残りの4話を書き、単行本が出たのは2000年の1月。わたしの1冊目の本。
 それから、ちょうど20年。行定さんから電話があったのは、1週間ほど前のことだった。今の状況でできることをやろうと思っている、と。
 今日、その時間、わたしは友達とオンライン飲み会をやろうと約束していて、近所でお惣菜と度数が低くて甘い缶チューハイを買ってきて、画面越しに彼女と話しながら、その時間を待った。普段は家では飲まないので1か月以上お酒は飲んでいなくて、このあいだ書いたオンライン飲み会は人数が多くてわたしはホストだったのでお茶だけですごしたのだけど、今回は一人とだし、まあ、やっぱり今日は「きょうのできごと」だから、と思った。飲み会の話。飲み会の一日の、そこにいた人たちの話。
 時間が来て、

『きょうのできごと a day in the home』
 →Huluで「A day in the home Series 『きょうのできごと a day in the home』(Hulu特別編)」配信中!

が始まった。そこには、今自分が見ているのと同じように、分割された画面に一人ずつがいて、同じように飲みながらしゃべっていた。彼らは、好きな映画の話をしていて、一人が、ジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』をあげた。「a day in the home」なのは、『きょうのできごと』を行定さんが映画にしたのが『きょうのできごと a day on the planet』だからで、そしてそのタイトルになったのは、映画化の話をもらって行定さんと対談したときに、わたしがジム・ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』が好きで、ああいうふうに時間がずれて1日のできごとで、と話したからだ(ちなみに原題は『Night on Earth』だ)。
 どうでもいい話、ええなあ、とわたしはポテサラを食べて缶チューハイを飲みながら、画面の向こうの友達に言う。友達も、どうでもいい話すごいしたいよね、と言った。20年間、わたしはどの小説でも友達とどうでもいい話をする場面を書き続けてきて、それは、自分にとってだいじなことだからというか、自分の人生はそれで成り立っているからなんだと思う。
 (このあとネタバレというやつです)

『きょうのできごと a day in the home』は、後半、5人がある一人の女性について話していて、そして彼女が登場した。見終わったあと、わたしは行定さんの初期作の『ひまわり』を思い出した。行方不明になった一人の女性をめぐって同級生たちや元恋人が彼女のことを語る。それから井上荒野さん原作の『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』のことも。こちらは、「つや」という女と関係のあった男たち、と関係のあった女たちが語るという、さらに多層的な構造になっている。誰かが語る誰かのこと。誰かがある人のことを語るとき、そこにその人の存在も、愛も、感情も現れてくる。その人自身よりも、語る言葉の中に、語る声の中にこそ、その人がいる。そしていっそう、その人自身は謎めいていく。そうかー、そう考えると『リバーズ・エッジ』の原作にはないインタビューシーンもすごく腑に落ちる。そして、『きょうのできごと』は、飲み会に居合わせただけの誰かがほかの誰かのことを語る、複数が複数を語る話なのだ。行定さんは、今の日本の映画監督の中で現代日本文学をいちばん読んでるんじゃないかと思うのだけど、この数年、わたしは小説は畢竟、伝聞、誰かが語る誰かの話なのだと考えていて、『きょうのできごと a day in the home』が終わって、友達とのオンラインをオフにして、そういうことを考えたのも楽しかった。 
「彼女について語るとき我々の語ること」、という行定勲論をそのうちに書こうと思った。
『きょうのできごと a day in the home』を作るほうにはわたしは関わっていなくて、シンプルに見て楽しませてもらう側で、ずっと家にいて人と会わなくて世の中の不安やじりじり抑圧されるような感じも増してくる中でやっぱりすり減っていくような感じがしていて(それでこの日記的なものも書きはじめたのだけど9、その日々の中に久しぶりに心が浮き立つような時間で、タイムラインを見ているとそう感じている人たちが、『きょうのできごと a day on the planet』をずっと好きでいてくれた人たちも、全然知らなかった若い人たちも、この数十分を楽しんで、そこで起きたことを語っていて、それが、20年前にわたしが書いたほんの短い小説から細々ながらもつながってきたことなのだと思うと、あのときまだ会社勤めをしていた25歳の自分に、今の自分が助けてもらっているような気持ちになった。
 『きょうのできごと』は、行定さんの提案で登場人物たちが30代になった『きょうのできごと、十年後』を2014年に書いて、そろそろ、『二十年後』を書き始めるときなのかもしれない。

(4月24日のぶん)

てきとうに暮らす日記 18

18

 かなり根をつめて考えた仕事の原稿を送り、延々と校正をしていたら、目が覚めて、え、さっきの長文全部夢なん、となる(校正部分が夢で、原稿はちゃんと書いてました。よかった)。前に映画かなんかで夢の中ではスイッチが押せないとか文字が読めないとかあれこれ言うててほんまかなと思ったけど、その後夢の中でスイッチも押せたし、文字は完全に読めるというか校正作業ができる。そういうの、人によって全然ちゃうのやろうな。わたしは夢の中でも常にわたしやけど、ほかのものになってるという人の話を聞いてめっちゃびっくりしたし。
 この、自分と自分じゃない人とは違うというのはこの日記的ななにかのテーマの一つで、何日か前にてきとうに料理作るから2、3割はいまいちなものができて、と書いたけど、2、3割?多っ!って思った人もいてはるやろうな。わたしはきっちりするのがめんどうやから2、3割いまいちでもあの香草塩とか生七味とかかけといたらなんとかなるしと思ってるけど、出来の悪い率が高くてかなしくなるくらいならきっちりする、得意なものだけ作るほうが断然楽という人も多いと思う。わたしは外食でも、知らないものとか食べたことないものを頼むタイプで、友達に「確実においしいとわかってるもののほうがよくない?人生で限られた食事の中で1度でも外れがあるとすごく損した悲しい気持ちになれへん?」と聞かれて、そんなに悲しくなる人もいてるんやなと気づいた。わたしは、1回のごはんがハズレやったことよりも、頼まなかったアレがもしかしたらめっちゃおいしかったかもしれん、この世にはまだわたしが知らないものすごくおいしいものがあるかもしれん、という気持ちのほうが大きいので、今まで何回もハズレてるけど、これどうするねんていうのんを頼んでもうてごまかしながら飲み込んだこと何回もあるけど、そんなに気にならない。それに、ハズレたらハズレたで文章に書けばいい、むしろネタが増える、という得な仕事してるし。その友人の場合は、子供のころいつもと違うものを選んで失敗すると両親からすごく怒られたという経験もあって、今までの経緯も人それぞれやもんな、と思う。だから、失敗しても頼んだほうがいいよ、とも自分じゃない人に対しては思わない。
 記憶に残るおいしなかった食べものとしては「カレーヨーグルト」があり、これは20年ほど前に忘れもしない、京都の今出川のファミマで、みんなでお酒飲んでた途中で買い出しに行ったから勢いで買ってしまった、インドっぽい象のイラストが描かれたパッケージであった。食べてみるとそのまんま、カレー味のヨーグルトで、甘くもなく辛くもなく、めっちゃまずいというのでもなく、どうしたいのかようわからん味やった。カレーなんかヨーグルトなんかわからんというか、おかずかおやつかわからんというか。ファミマってデザート棚充実してたやん、当時のコンビニの中では。そのいっぱい並んでる中にあってん。
 その後、たまたまそれを開発した人のインタビューが新聞に載ってたのに遭遇した。社内アンケートでは5割の人が食べてみたいという結果だったので商品化した、と言うてはった。なかなかのチャレンジャーやな、っていうか、その頃はまだ今みたいに世知辛くなくてそういう商品でも出せたんやなあ。カレーヨーグルト、衝撃を受けた人が多かったのか、ちゃんとWikipediaに項目があります。
 写真は、「プリンエル」を低脂肪牛乳で作ってみたやつです。脂肪分が普通の牛乳の50%です。フルーチェは、ペクチンと牛乳の成分が反応して固まるので低脂肪乳ではできなくて、「プリンエル」どうなんやろと心配したけど、ちゃんとできました。味もこないだ作ったのとそんなに変わらない。普段と違う生活で運動不足かつ食べ過ぎになってる人も多いと思うので、牛乳消費も脂肪は減らす方向でやってます。料理は実験やね、とチャレンジ精神のある方、もしくは論理的に理解できたほうが作る気がするという方には、『Cooking for Geeks ―料理の科学と実践レシピオライリージャパン』(オライリージャパン)ていう本がおすすめです。わたしのは初版やけど、改訂した第2版が出ています。タンパク質の変性とか焦げるって科学的には何が起こってるかなどを解説しつつ、いろんな料理の作り方を教えてくれます。

(4月23日のぶん)

てきとうに暮らす日記 17

17

 雨が降る前に近所を歩く。今年は冬がない感じに寒く中ってさくらがめっちゃ早かったけど、ほかの花も全部早くて、いつもの感覚では連休ぐらいに咲く花がもう咲いたり散ったりしていて、部屋から出ないあいだに季節がどんどん進んでて、さびしいような気もするし、人間のことに関係なく季節や天気が変わることに救われる気もする。
 ほんまやったら今日はROVOのライブに難波ベアーズに行ってるはずやって、と書いたとたんにこの「ほんまやったら」ってなんやろうと思う。「ほんま」を「事実」とすると行けなくて東京にいることがほんまで、「ほんま」を「あるべき状態」とするならベアーズでROVOを観てるのがほんまになる。
 難波ベアーズは、山本精一さんがやってはるライブハウスで、大阪でちょっとアンダーグラウンドな(なんて書いたらいいかわからへんなあ。最初に行ったのは高校のときの知り合いの知り合いのラフィンノーズのコピーバンドやったし、いろいろや)音楽をやってる人には特別な場所で、ほんま(この場合は事実)かどうかわからんけど、客だか出演者だかがけんかになったときに周りの人が「ここ山本さんの店やぞ、やめろや」と言ったらすぐやめたという話で、なんかそんなように思い入れのある場所やから、ベアーズで初めてやるROVOは絶対に行きたかった。そもそも、今年の日比谷野音のROVOはオリンピックのためにできへんはずやったのが今年の初めになってからできるってことになって、ROVO20周年やしこれは日比谷野音もベアーズもメトロも全部行かなと意気揚々としてたのが全部行けなくなった。
 開催できなかったことはしかたないにしても、ライブハウスは最初に集団感染があったり槍玉に上がってしまったのもあるし、今どこも営業できなくて危機にある。このあとも存続するために、署名活動や、たくさんのライブハウスが集まってのクラウドファウンディングや音源をダウンロードできる支援とか、個々のライブハウスでの支援をする活動とか、あれこれこの1、2か月のあいだにできてきて、それは独立系の映画館や演劇も同じような状況で、いろんな人がそういう仕組みを作ってくれて、支援できるのはありがたくて、わたしも賛同したり実際参加したりするねんけど、この状況は長く続きそうやし、お客さんの側も仕事とか厳しい状況で、だんだんお互いに難しくなってくるから、ほんとう(これはあるべき状態)は、公的な支援が必要やと思う。それはもちろん、エンターテインメントだけじゃなくて、飲食や観光やこの状況によって休業や影響を余儀なくされている全部の産業に対して必要なこと。
 SNSとかで、政府や行政の対応を批判したり支援を求めたりすると、政治的な発言として敬遠される現象があるけれども、わたしは批判ていうのはよりよい状態を目指すための建設的な行為やと思うし、そういう話をするのは、来週すごい大きい台風があるから対策をしたほうがいいでというのとなんも変わらなくて、さらにいうと明日のごはんなに食べよかというのと同じくらいに特別なことでもないし、誰もが発言するべきというのも違うと思うけど、なんで発言すること自体がよくないって思うのか、とそれは長いこと思ってる(極端な言葉を使わないでほしいとかその話ばかりになると少し気疲れするとかならわかる)。高校のときに休み時間にしゃべってて、わたしは子供のころ喘息で公害認定というのをもらっててそれに関する医療費が無料(確か。子供のころのことなので記憶が曖昧)やったり喘息の子だけの転地療養(山奥の病院に泊まる)とか行けてんけど大気汚染とか公害ってまだまだ解決してなくて、みたいな話をしたら、「しばの話は怖いから聞きたくない。やめて」と同級生に言われてんけど、そんなにおどろおどろしい話をしたのでもなかったし、あのときの「怖い」ってどういう意味やってんやろ、ってそのときもわからなかったし、今も、もっと聞いといたらよかったなと思ったりする。
 それで、わたしは自分の小説の中でライブに行く場面を何回も書いてて、それは「何でもない日常」みたいなことをずっと言われてきたのだけど、わたしは「日常」って思ったことなくて、実際今、ライブを観に行くことは「日常」ではなくてとても難しいことになっている。 
 わたしがそういうのを「当たり前の日常」って思わないのは、その子供のころの喘息で死ぬかもっていうのが今よりもずっと身近にあって明日が来ることが不思議で仕方なく、そしてもう一つ大きな経験は、1989年1月7日のことです。あのとき、予定されていたテレビ番組が全部なくなり、やっぱり「自粛」という言葉があちこちに現れて、朝から晩までテレビを見ててテレビが世界やと思っていた中学3年生のわたしは、自分が普通と思ってるものはある日突然「今日からルール変えました」っていわれるかもしらんもろいものなんやな、って思った。普段は「普通」ってことになってるだけなんやな、って思った。その日の一つのできごとで、それだけ世の中が変わってしまうって、つまり「日常」と呼ばれてるものって「政治」と切り離されへんもんなんやな、って思ったし、めっちゃ謎のいつ崩れるかわからんあやういもんなんやとも思った。そのときどきで経緯や状況は違うから単純に比べたり当てはめたりするのは考えるべきや思う。ただ、少なくとも、「なにげない」なんていうことはない。なにもしなくて当然そこにあるはずのものが「日常」っていうふうには思えない。あのとき、インターネットもなかったし、イベントが中止になった人もいてたはずやけど(その数か月前から「自粛ムード」というのがあったし)、その人たちはどうしてはったのやろう。短期間やったし、今回とはだいぶ状況も違うし、今と違ってバブル期やったからそこまで影響もなかったのやろうか。(この「日常」ってなんや?の話は『わたしがいなかった街で』にちょっと書いた)
 2月の終わりに演劇やライブができなくなって、無観客で配信とか、それぞれに工夫してファンを楽しませてくれようとしていて、わたしもいくつか観て楽しませてもらった。その中で、山本精一さんはベアーズで無観客無配信ライブを一人でやり、ドアも鍵閉めてるから来ても入れないと宣言していて、わたしはたいへんに感銘を受けた。音楽を演奏するってなんやろう、ライブやるってなんやろう、ライブハウスが営業していくことってどれだけ大変なことやろう、って、誰もいないベアーズ、あの地下の狭いところで一人で誰も見ることも聴くこともできない音楽を演奏する山本さんを思い浮かべながら、突きつけられたように思った。
 難波ベアーズは、今、公式サイトで支援をできるようになっていて、「永久フリーパス20万円」「山本精一直筆護符2000円」、そして、上記の無観客無配信ライブの「後売券」を希望者はつけてもらえます。わたしは護符を買いました。あと、「MUSIC UNITES AGAINST COVID-19」といういろんなライブハウスを支援すると限定の音源がダウンロードできるのにも参加しています。

てきとうに暮らす日記 16

16

 「よう知らんけど日記」の原稿を書いて送る。この日記もだんだん実際の日付けとずれてきたけれど、「よう知らんけど日記は」もっと大幅にずれていて、半年とか、1年近くずれたこともあって、去年の後半をちょっとジャンプして、今は今年の3月のところ。こんな調子でも連載を続けさせてもらっているのはありがたいというか、心が広いとしか言いようがない京阪神エルマガジン社さま。連載を始めたのは2011年の2月ごろで、そのあとすぐに地震があった。日記を書かないわたしが日記のようなものを書いていてそのおかげでその時のことを思い出せる。
 それで、今年の2月や3月のことをスケジュール帳やiPhoneの写真を見て思い出していると、今は違う世界にいるなと思う。同じ世界やけども、2月には戻れない世界。でも、そういうことは今までも何度もあったし、ずっとそうなのかもしれない。
 スケジュール帳は、3月の後半から真っ白で、その前と比べてみると家でする仕事でそんなに出かけないといってもそれなりに予定があったのやなと思う。2月はまだライブや演劇も観に行ってた。家にいるから本を読もう、という文言もよく見かけるけれども、わたしは今のほうがあんまり本は読めていない。
 スーパーに行くと、買う人が増えてるというだけでなく、製造や流通にも影響出てるんやろなそらそうやんな、という感じで少なくなっている品物がある。店員さんも、この日記を書き始めたころに比べたら重装備になっていて、疲れるやろうな、大変やろうな、と思う。小麦粉やベーキングパウダーやドライイーストやホットケーキミックスが空っぽになっていて、子どもが家にずっといたらホットケーキとか焼くやろな、パンも作ったりしてはるんかな、と想像して、先日炊飯器パンはいまひとつうまくいかんかったというかいやそれほどでもないんやけどうまくできた感が足りなかったので、別の作り方でやろうと思ってベーキングパウダーを探してるんやけどずっとない。パンのうまくできた感が足りへんかったんは温度管理か?と先日書いたけども、捏ねるのが不足やったのでは説に傾いてきている。そうかー、もっと捏ねないかんというのは、いらちのわたしにはやはり向いていないのかもやな。しかし、その家にいる時間が長くなって今パンを焼く人が増えているというインターネットで読んだ記事では、捏ねるのがストレス解消になっているとあり、うん、確かに会社員時代の先輩でパンを焼くのが趣味やった人もパン生地にストレスをぶつけている(実際投げたりたたきつけたりする)と言っていたなあ。
 15年くらい前に、「Hanako West」て「Hanako」の今は休刊になった関西版で働く女子にインタビューをする連載をしてたことがあって、そのときに話を聞いたなんの仕事してはる人やったかなあ、20代の女子が、趣味がないのが悩み的なことを話してて、ときどきパンを焼くけど月に3回ぐらいやからとても趣味とは言えないと言うので、えー月3回はじゅうぶん立派に趣味やでと編集者さんと共に言うたら、趣味と言えるのはもっとちゃんとやってる人だから、と言っていたのを今もときどき思い出す。
 この日記のタイトルの理由は「ていねいに暮らす」以外のやつ、と5日目ぐらいに書いたけども、それがあかんということではまったくなく、ていねいにしたほうが気持ちよく暮らせる人はそれで全然よくて、わたしだって部屋が片付いてたらええのになーと思うし、なんていうかあのパンを月3回焼いてる子みたいに、もっとすごくちゃんとしてる人がいるから自分はできてないみたいな謎のプレッシャーが、でも世の中にけっこう広がっており、なんでなんやろなーと、そういう気持ちからです。
 だから今、家で今までと違う生活をしててパンを作って穏やかに過ごせたらいいし、こんな中でも休めない仕事で疲れてて、あるいは家にいてるのに何もできなくてなんか落ち込んでしまって、という人もちょっとでも楽に(作業も気持ちも)日々を過ごしていけたらいいなと、これを書いている自分がいちばん自分を納得させようとしてるのかもしらん。
 こないだツイッターで見た、刺身用のサーモンを塩昆布で和えて置いといたらおいしいというのをやってみたらこれはおいしかった。
(4月21日のぶん。写真の雲は別の日) 

てきとうに暮らす日記 15

15

 天気が周期的に変わるのは季節の変わり目で仕方がないとはいえ、大雨→強風のくりかえしはしんどい。東京に来てからはとにかく風が強いのが、なぜかとても怖い。関東平野の遮るところのない風が、大阪よりも勢いがあるのかもしれないけど、とにかく音が全然違って、雨よりも風が続くと気が滅入ってしまう。いや、たぶん、いろんな人が滅入ってて、まあ、しょうがないよな、と思うけど、強い風にはいつまでも慣れない。
 何日か前に、ずっと家で仕事するんやから服はパーカとスキニーやって書いたけど、それはそうなんやけど、はたと気づいた。むしろ、着て行かれへん服を着るときやん、これは。お店で「パーティーにも着ていけますよ」って言われてパーティーなんかいつどこであるねん!って思いつつ、パーティーにも着て行けるもんなって自分を納得させて買ったけどやっぱりパーティーなくて着ていくとこないあれとかあれとかを、思う存分着たらええねんやん、どうせ人に会えへんのやし、場も空気も関係ないし。
 ちなみにこのパーティーなんかどこでやってんねんっていうのは『ショートカット』(河出文庫)の中の「パーティー」に書いてます。ところで今の仕事をしてると年に1回2回はパーティーあるし、パーティーほんまにやってんねや、ホームパーティーとかやなくてほんまのパーティー、っていうことでそれ用の服とか必要で、でもそういうのっていちおう同じの着ていけへん感じやから、ちょびっとしか着てないあれとか、パーティーいうてもむしろこれ浮くやんみたいなあちゃちゅむのホラーな柄とか、そういうの、今着たらええのやな。
 サッサの回でちらっと書いた、コロコロのフローリングでも使えるやつが今日の写真です。普通のコロコロはフローリングに使ったらくっついてまうけど、これは粘着部分が縞々になっていて、くっつかずに使えるのです。畳にも使える。そしてカーペットももちろんいける。これは非常に便利で役に立ち、よう知らんけど日記を読んでくれた作家の友人たちには大変好評で、サッサとコロコロフローリングタイプを布教してるみたいな感じになってます。まだ普通のコロコロ残ってるわーという方にライフハック的なことを言いますと、布の上(服とか布のソファとか)をコロっとして粘着を弱らせてからやと、フローリングでもくっつかないです。そして「コロコロ」は、レンジでチンする的な擬音語、擬態語、オノマトペの類かと思いきや、株式会社ニトムズの登録商標です。ニトムズは粘着テープの会社で、わたしは人生が二度あれば、ダンサーになるか、こういうある分野の専門、ニッチやけどシェアすごいっていう会社で働きたいです。小説家も自分に合っててええ仕事やけどね。
(4月20日のぶん) 

てきとうに暮らす日記 14

14

 晴天。富士山がくっきり見える。昨日の大雨は富士山では吹雪だから、真っ白。まだあのへんは冬。
 天気がいいと、だいぶ気分が違う。ときどき、小説に書いてある風景を心象風景みたいな言い方で天気だとか場所の様子が登場人物の気持ちを表していると解説されることがあるけども、わたしは逆だと思う。天気が悪いと落ち込むし、晴れると気持ちが上向くし、人間の心が天気に影響はしなくて(勝手に解釈することはあると思う。悲しいときに雨が降ってるとこの雨は自分の気持ちみたいと思うこと)、天気や場所が心に影響する。
 日記的なもの、とはいえ、日記というタイトルで、最初は1日ごとに更新していてここに来て間があいたのは、毎日にしないことにしようと思ったのもあるけど、仕事の締め切りがあったからです。わたしは一日に複数のことするのが苦手で、ある程度一つのことを集中してやるので、仕事の文章を書いているときは、生活のこまごましたこともできなくなる。そういうのも、長いことなんとかしようと思ってたというか、できない自分があかんみたいに思っていたけど、ここのとこはこの状態で生活を維持するにはどうしたらいいか方向に考えるようにしてる。それに,最初のほうにも書いたけど、できないのにやってきた自分まあまあがんばってるやん、と思うことにした。
 昨日の料理でなにがめんどうか問題もそうやけど、きっちり毎日家事をかたづけるほうが心の負担が少ない人もいれば、やらなあかんと思うこと自体が心の負担になる人もいて、どういうやり方でも心の負担が少ないほうにしたらいいと思う。
 今も、情報を知りたいっていうのと、入ってきすぎてしんどいっていうのと、人によっていろいろやし。ちょっと休んだり、休んでまたはじめてみたり、やり方はたくさんある。インターネットが難しいなと思うのは、自分の見てる風景と、別の人が見てる風景が全然違って、それを共有しにくいこと。以前なら、テレビとか新聞とかある程度共通してる風景を他の人が横から見ても知れたけど(でも、やっぱり見てるものは違ってたと思うけど)、家族とか身近な人でもどんな風景を見てるのかなかなかわからない。同じできごとも違う風景に置かれたら違う意味に見えるわけで、その違う風景のあいだの言葉が今は少ないというか、すごく伝わりにくくなってると思う。伝わらないっていうのもあるし、自分が見えてないことに気づかないで言ってしまうこともあるし。それもあって、今、直接のウイルスや感染や危機的状況そのものに加えて、どうなるかわからない不安、この先が見えない不安が余計に大きくなってるんとちゃうかなと。だからこうしたらいいみたいなことは、今の自分には全然言えないのやけど、そんなこともあってこれを書いているのかもしれない。短い言葉じゃなくて、ある程度の長さのある言葉のほうがええかなと思って。
 言葉はしんどいし、難しい。でも、言葉でやっていかなあかんこともある。
 言葉でやっていかなあかんこともある。でも、言葉はしんどいし、難しい。
 同じ言葉やのに、順番入れ替えるだけで変わってくる。ただ並列することってできへんのかな、と小説書いてるときにいつも考えてる。
 フルーチェ ミックスピーチを作りました。フルーチェ 贅沢マンゴーを作ったときに、なんか少ない、大人になったからそう感じるのか?と書きましたが、実際少なかったです。基本のフルーチェは牛乳200ml使用、記憶のフルーチェと同じ量、同じ味ができました。おいしかった。フルーチェは1976年発売やそうで、ものごころついたときにはあったということやね。

(4月19日のぶん)

てきとうに暮らす日記 13

13

雨は昨日の夜遅くには降り出していて、夜中も激しい雨の音で何度も目が覚めた。午前中はずっと薄暗くて、もともと曜日の感覚が薄かったところに今回の状況でますます曜日感覚が混乱し、この荒天では時間感覚さえあやふやになっていく感じがする。
昼過ぎに荷物が届いて、こんなときにほんとうに申し訳なくなる。こんなときに限って事前に指定とか変更とかできない荷物で、配達の人はめっちゃ濡れてはって、荒天のときは配達休みでもいいんちゃうかと思う。アメリカに滞在してるときに、通販でなにか買おうとしたら到着が二週間先とかで、マンハッタンとかやとまた違うのかもしれないけど、アイオワの片隅ではアマゾンプライムの商品でも翌日配送なんてあり得ず、買った品物の追跡番号でときどき確認して、あー、ケンタッキーまで来てるんやー、などとのんびり待っていた。さらに、ユニクロや無印など日本発祥の会社でもアメリカのサイトでは物を買うほど高くなる仕組みなのもびっくりした。日本だといくら以上は送料無料なのに、逆やん、と思ったけど、ようさん買うと荷物も大きくなるからそれはそうなのかも。「送料無料」でなく「送料は当社負担」と書いてほしいというツイートがあったけど、無料とか翌日配送とか、便利なことは、なんでもすぐに慣れて当たり前に思ってしまう。
パンを焼いてみた。といっても、炊飯器で簡単に焼けるパンというのをしばらく前からやってみたくて、1月に炊飯器を買って、3か月も経ってようやく実行した。てきとうにごはんを作るのはできるんやけど、材料が余るのが苦手でにんじん2分の1本と書いてあっても1本全部入れたり調味料も目分量のなんとかなるやろな性格なので、お菓子系は作れない。お菓子は化学反応で、分量も時間もきっちり計り、手順も当然守らなければならない。人と話していて、たとえば食べものを作るのがめんどうというときのその「めんどう」の中身が違っていることはよくあって、書いてあるとおりにきっちりやることが「めんどう」な人もいれば、てきとうにとか「少々」とかあいまいなわずらわしさが「めんどう」な人もいる。揚げ物は片付けるのが大変やから誰でもめんどうなものと思い込んでいたけど、とりあえず衣つけて揚げとけばなんでもおいしいから楽、というのを聞いてまさに目から鱗だった。だから、人と話すとき、特に手順とかやり方を教えるときは、その人がなんのことを「難しい」「わからない」と思っているか知ることが重要、というわたしは、きっちりするのが難しくて当然パンも見本の写真となんかちゃうものができた。いちおう計りで計ったのやけど。それなりにおいしかったけど、パンと蒸しパンの間みたいなものやった。インターネットで検索すると、発酵や材料や室温の管理がと書いてあり、え、そんなん無理無理、温度計ないし。それと、作る過程で手とか道具に付くのがもったいなく、それも向いてなさそうな気がする。ということでパンの写真はありません。
てきとうに料理作ってると2、3割はいまいちなものができるのやけど、そんなときはこないだ紹介した「生七味」か「麻辣ペッパー」「オリーブ香草塩」をかけとけばどないかなります。「オリーブ香草塩」は小豆島のお土産で買ってきたもの(インターネット通販でも買えます)。父親の出身が小豆島で、今ではその父の墓参りや法事くらいでしか行けてないのですが、子供のころから小豆島の食べものよう食べてるので馴染みがある。醤油もずっと小豆島のやし、かどやのごま油は小豆島産の胡麻やし(土庄の港の近くに工場があるよ)、それと数日前に書いたそうめん。うどん県そうめん島ルーツの、粉もん&うどん府で育ったので、毎食うどんかそうめんで全然いい感じです。「オリーブ香草塩」は、肉でも魚でも野菜でも、焼いてこれをかければおいしい料理になります。すごい。
雨が思ったより早く上がり、日が差して、そしたら街の景色の中に新緑がいくつも見えた。今の部屋に住んでまだ季節が1周してないので、あんなとこにもこんなとこにも木があるんやな、と新鮮に思う。

てきとうに暮らす日記 12

12

 用事があって、何日ぶりやろう、電車に乗って出かけた。ほんの数駅やけど。昼間の電車はがらがらで、1車両に4、5人という感じ。駅もがらんとしていて、こんな光景は初めてやなあと思う。ほぼ全員がマスクをしている。手作りっぽい布マスクの人もよく見るようになった。用事を終えて、すぐ帰ろうと思ったが、近くのお店に入ってちょこっと洋服を見てみた。店内も全然お客さんはいないし、街全体がとても静かだ。駅からの道の途中にあったスーパーだけ、自転車もたくさん停まってて人も多そう。とてもいいお天気で、そう今は春でとてもいい季節で、空も青くて、いい季節やのになあ、と繰り返し思う。電車は窓が開いていて、気持ちよい風が入ってくる。昔は電車の窓開いてたな、と思う。今も開いてるときはあるけど、もっとよく開いてた。季節がよいときは電車の窓開いてたほうがよいな。
 家で有意義な時間を過ごすのって難しい、とほぼ家生活18年ぐらいのわたしは実感してて、今の時期にたくさん本読んだり映画やNetflix見たり、なにか作ったりしてる人はえらいなあと思う。普段どういう生活してるんですか、と聞かれたら、だめな受験生の夏休みが終わらない感じ、と答えるのだけど、夏休みをめっちゃ充実して有意義に過ごしてた人もおるんやろうな、とはたと気づく。
 普段は通勤しているのに急に家にいないといけなくなって大変な人も多そう(通勤がなくなって家のほうが楽な人もたくさんいると思う)。特に東京みたいな人が密集してる大都市だと条件のいい部屋を探すのは難題で、平日は寝に帰るだけになっちゃうから、と日当たりだとか昼間の環境は重視しなかった人もいるやろうし、周りも状況が変わってるから思わぬ騒音があったりするかもしれない。わたしは東京で最初に住んだ部屋の真上の人が普段は全然静かなのに「ガキの使いやあらへんで!」だけは爆音で観てはって、鉄筋コンクリートで隣じゃなくて上やのに全部の言葉が聞き取れるほどの大音量やってんけど、日曜の夜のこの30分を楽しみに暮らしてはるんやろうなと思って山崎邦正の声を聞いていた。あのときは一人暮らしも初めてで東京での生活もどうなるかわからんからとりあえずで決めた1Kで、悪くはなかったけど、一日中同じ部屋で同じ机でごはん食べて仕事するのはこもる日が長くなるとちょっとしんどかった。台所も、IHが一つにシンクはフライパンが洗えない小ささで、料理に慣れている自分でも(というか家族用の台所に慣れていたからこそ)難しかったし、お皿を割ったりするとなにもかもいやになった。
 だから、おうちの時間を楽しもう、充実させよう、みたいになっても、その部屋も人の生活スタイルも全然ちゃうし、そんなに簡単なことではないよね、と思う。ずっと一人でしんどいこともあれば、家族と暮らしててその全員に自分だけの空間があるわけじゃないっていうしんどさもあるやろうし。
 というわけで、今日の写真はどん兵衛です。「日清の汁なしどん兵衛 釜たま風うどん」。いやー、これはもう劇的においしかった。パッケージの写真は卵黄がのってますが、付いてるのは卵黄っぽいタレで、こういうのは最近納豆で付いてるやつあるよね。麺を湯切りした後に、だしとタレを混ぜるスタイルですが、期待の10倍ぐらいおいしかった。どん兵衛の麺がとにかく好きやしね。そしてわたし、インスタント麺は日清信者です。大阪なので、日清食品、ハウス食品、グリコ、ローソンを支持しています。フルーチェもプリンエルもハウス食品やし。どん兵衛は子供のころから大好物で、今のよくできたふんわり揚げも好きですが、昔の薄いしなっとした揚げもよかったです。どん兵衛以外は袋麺派で、今のラ王もたいへん良いです。特に冷やし中華。あの麺だけ延々と食べてもいいね。袋麺に野菜とたまごを入れるのは日常食で、よく「サッポロ一番」が挙げられますが、わたしは断然「エースコックのワンタン麺」です。エースコックも大阪の会社です。本社は江坂です。東京はやはり明星食品やサンヨー食品の牙城であって、エースコックはスーパーカップシリーズはあるんやけど「エースコックのワンタン麺」はなかなか置いてない。あのなんも入ってないワンタンが食べたいなあ。
 「よう知らんけど日記」でもインスタントやコンビニの食べもののことを書いてたら食生活を心配されたことがありますが、毎食ではないし、それなりに野菜足したりしています。でもほんま、そういうのも、この状況下でも食品がすぐ手に入れられて、さっと料理できる環境にあるからやんな、と思います。
 明日は警報が出るほどの大雨の予報で、そのせいか、人が少なくなる閉店間際の時間に行ったスーパーは、肉も野菜もからっぽに近くなっていた。

(4月16日のぶん)

てきとうに暮らす日記 11

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 何日か前に、外国のニュース映像ではスーパーなんかでも2メートルあけて並んでるのを見るけど近所では見かけないと書いたのやけど、ドラックストアもスーパーもレジが透明ビニールシートでガードされ、並ぶ人が待つラインも表示されるようになった。間は50センチくらいかなというのは、日本の店は狭いからしょうがないのやろうか。レジの人もビニール手袋をしてはって、レジ打ちにくいやろな、それでも不安やろうな、とバーコードのピッという音を聞きながら思う。
 出かけるのを控えるようになって2か月、最小限しか出なくなって1か月半になる。もともと家で仕事をしていて、3日ぐらい一歩も出ないこともしょっちゅうで、長編の佳境に入っているとひと月人に会わないことだって何度もあったのだが、それでも今回のこの状況がしんどく感じるのは、自分以外の人が動いてくれてる世界じゃないからかなと思う。自分は家にいて誰にも会ってなくても、世の中が動いてて賑やかで、人が楽しく過ごしてて、その感じに安心してるっていうのがあったんやろうな。今は、先行きが見えないとか、政策に対して不安があるのも大きいけど、それだけじゃなくて、外に出ればどうでもいいあほなことをしゃべり会って笑ってる人がいっぱいいるって感じることが、自分にはだいじやねんな、と思う。
 それで、今までやと家で仕事しているとはいえ、ちょいちょい取材を受けるとか打ち合わせとかイベントとかあってちゃんとした格好をしなあかんていうのもあり、家で仕事するときに着る服を、完全に部屋着もいやなのでどのくらいの感じにするか、ずっと定まらないままやって。昨日のに書いた、在宅ワークでこうしたほうがいい項目に、ちゃんと外に行ける服に着替えてメリハリをつけるていうのもあってんけど、家にずっといると運動不足というか、ほぼまったく動かないので、ストレッチとか多少体を動かすためには外に出かけるような(物理的に)固い服や小綺麗な服は難しい。そして、この全然出かける用事がなく、完全家生活となってしまった今、ストレッチ等も余裕でできてそれなりに部屋着でもなく仕事できる服は、アメリカの女子学生が着てた服や!という結論に。アメリカの女子学生、95%が下はスキニーかヨガパンツ、上はスウェット、パーカ(英語ではhoody)やった。あれ、理にかなってたんやな。ところでアメリカで若い女子がよくはいてるヨガパンツ、これは大人にも男子にもたいへん不評なようで、アイオワ滞在中に読んだファンション指南本でも「ヨガパンツは外に着ていくものじゃありません」て書かれてた。
 わたしがこの5年ほどで行ったアメリカとヨーロッパの国では、女の人は8割がスキニーパンツをはいてた。年齢も体型も問わず、みんなほぼスキニー。楽というか、機能的なんやろな。寒くないし、動けるし(今のスキニーは繊維が進化しててめっちゃ伸びる)。高温多湿の夏やとちょっと無理やけど。
 それでもう当分はスキニーとスウェットや、しゅっとしたやつ探そう、とサイトをいろいろ見てたのやけど、この状況が長く続いたら洋服も靴も鞄も化粧品も売れへんやろなあ、と思って、自分はそれらのものが大好きで、自分自身が買えて着られたらいいのはもちろん、かわいいものやきれいなものが百貨店や街に溢れてて、そういうのを見るだけで幸福なので、今の状態が長くなって大好きな服や靴や鞄やそういうのを作っているところが売り続けていくことが難しくなったらどうしようかと考えるだけで落ち込んでしまう。
 わたしは中学生のとき、学校に行くのがしんどくなって早退しまくって梅田の百貨店や大型書店をうろうろしてたときがあって、あのとき百貨店にあっためっちゃ高いきれいな食器とかが支えになってたというかそれに憧れる気持ちでやっていけてたのを思い出して、今、そういうお店が閉まってたり長居できへんかったり、そもそも街へ出かけていくことが難しく、学校に行けないとたいていは家もつらい場所になり(学校に無理に行かなくてもだいじょうぶ、家で好きなことをしてたらいいよ、なんていう家はあるにしてもまれだと思う)、行き場がなくてしんどい思いをしている子たちがどれだけいるやろうと思ったら心配で仕方ない。自分が学校を早退ばっかりしてたあの時期、一日中家に家族全員おるとか想像しただけでいたたまれない。その子たちは、今、どんなふうに過ごしているのやろうか。

(4月15日のぶん)